滞在日:2023年8月30日〜9月30日

家無しボスニア・ヘルツェゴビナ 4
京都のような街・サラエボ散策!

モスク

さて前回に続いてサラエボ旅行ブログです。今回はサラエボの街の風景をご紹介します。
だいたい毎日Airbnbのお部屋で仕事して、ゴロゴロして、時間があいたら散策…をしていました(贅沢)。

時系列になっておらず全然うまくまとめられてませんが…サラエボの魅力が伝えられたらうれしいです。

家無しボスニア・ヘルツェゴビナ 3 ‐サラエボで孤独なワーケーション!
前回の記事はこちら

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オールドタウン バシュチャルシヤ

Baščaršija

15世紀にオスマントルコ配下になったこのエリアには巨大マーケットが立ち並び、いまもトルコ色を色濃く残しています。
サラエボ人口の70%以上はイスラム教徒ということもあり、ヒジャブをつけた女性や、あごひげを蓄えた男性を沢山見かけました。

ちなみにボスニアにはイスラム教のボシュニャク人、東方正教会のセルビア人、カトリックのクロアチア人が共存しています。…いや、厳密には共存できているかちょっと怪しくて、モメないように各グループ輪番で大統領をやっているので、実質3人の長が居る状態。一般の人たちも、どの民族グループに属しているかで全く違うコミュニティと生活スタイルを持っているし、所属しているグループのコネを使わないとまともな仕事にありつけない…なんて話も何度も聞きました。表向きは平和だけど、まぁなかなか複雑な状態で…現代の傀儡国家…??
正直日本人には想像しづらい…。

「ユーゴスラビア時代はそこそこ仲良くやってたのに、紛争後に特に政治的ナショナリズムの機運が高まってしまった…」と嘆く方にも出会いました。
この辺は聞く相手によってかなり意見が違うんだろうなぁ。

The Taslihan ruin

16世紀の行商人宿。オスマントルコには客人を無料でもてなす文化があり、みなさんこの場所で旅の疲れ癒していたようです。
今でも「客人をもてなす」文化は健在で、ホスピタリティにあふれるとっても優しい方が多いです。

狭い道にひとがいっぱい

無料のお水。ボスニアは水と空気がきれい。
ボスニアコーヒーのお店。青銅の器で飲みます。

歴史的な建物がいっぱいあるのだけど、旅疲れが溜まってて全然チェックせず。ただフラフラ散策して過ごしてました…。

ピントあってないけど…カフェやレストラン、お土産店が立ち並び、夜も観光客でいっぱい!

夏という事もありすごい熱気!

コンサートやってた。

サラエボって…京都??

サラエボ大学 Academy of Fine Arts の校舎。とっても素敵。

オールドタウンを抜けると、大きな川にぶつかります。川沿いには素敵な建物が並んでいて凄くキレイ。

端がいくつもあって、よく整備されていてきれい。奥に山がみえる。


…あれ?

盆地で、坂が多くて、古い市場があって、土産屋とカフェがいっぱいあって、川が流れていて、観光客いっぱいで、神社(モスク)やお寺(教会)があって…

…京都じゃん!!!!!


…そうです。サラエボは京都でした。

川沿いに西洋風の古い建物があるのもまた京都っぽい。

ちょっと違うエリアですが…
こんな、もろ京都なエリアまであってビックリした。柳と川って…京都すぎない??嘘でしょ??

いや京都!超京都!

City Hall (市役所)

一応補足すると、オーストリア・ハンガリー帝国領だった頃のハンガリーアールデコな建物もあります!
歩く場所によって全然景色が違って面白い。

オールドタウンの手前には、THE ヨーロッパ!なショッピングストリートが続いています。人が多いのでスリに注意。
ある夜に歩いてたら子供が体当たりして来て、ん???と思ったらガッツリカバン開けようとしてきてビビったわ。
マジ注意してね。

バルカンとヨーロッパのミックス。
右側の素敵な建物はGradska tržnica Markale (マーケットホール)。ハンガリー帝国時代のネオルネッサンス建築。

第二次大戦中、ナチスと戦って占領から解放されたことと、その犠牲者を悼んでのモニュメント。
24時間、炎が消えることはありません。

永遠の炎 ‐ Eternal Flame

戦争の爪痕

旧ユーゴスラビアだった90年代、セルビア軍はボスニアにいるイスラム人の大量虐殺を始めました。
詳細は書きませんが、ボスニア全土で、とにかくボシュニャク人を集めて銃殺したり、埋めたり、レイプしたり、やりたい放題だったそうです。
このミュージアムでは、当時の恐ろしい悲劇を語る写真や遺品が並んでいます。

Siege of Sarajevo Museum (サラエボ包囲ミュージアム)
サラエボの周囲をセルビア軍が包囲し攻撃するだけでなく、まさかの一般市民を兵糧攻めにしました。嘘でしょ?
山の中や隣の町につながる検問にセルビア軍スナイパーが待ち構えていて、ちょっと外に出たらその瞬間に撃たれてしまう。
でも食べ物がないので、外に出るしかない。外に出たら殺される。どっちにしろ死ぬ…恐怖しかない。

ただ、そんな検問をかいくぐって市内になんとか食料を運んでいた「希望のトンネル」というものがあり、ツアーで行くことができます。

あっちこっちに銃痕。めっちゃ銃痕。

サラエボ市内はもちろん、ボスニアには戦争遺構や犠牲者追悼モニュメント、戦争ミュージアムが沢山あり、当時の様子を知る為のガイドツアーが毎日実施されています。いわゆる、ダークツーリズム。
もっといろいろ行きたかったけど、エネルギーがなかった…次回はちゃんと行こう。

今はこんなにおだやかできれいな街なのに、たった30年前に多くの人が殺されたなんて全く信じられません。
でも…

この滞在中に出会った人と話していたら「パパは戦争で死んだ」とか「叔母の夫が殺された」とか、当然のように家族を失った話が出てきて驚きました。たった数人しか話してないのに、どんだけ?え??どういうこと?

Facebookで「ボスニア滞在してます」って投稿したら、「お茶しませんか?」って声をかけてくれたお姉さんがいました。
彼女とその友達は二人ともムスリムのボスニア人(ボシュニャク)。一人はヒジャブはかぶってなくて、言われなければイスラム教徒とはわかりません。

二人とも家族を戦争で失っているそうです。

左のバラは、その二人が「出会いの記念に」とくれたもの。

ちなみに、ノビサドの親友ともよく当時の話になって、色々な話を教えてもらいます。
セルビアにNATOの爆弾が落とされた時の事、当時の政府が全く信用できず、市民が犠牲になった事…。
西側諸国の制裁で外国から物が一切入ってこなくなり、スーパーが空になり、ガソリンスタンドに長時間並んだ事…。

「紛争になり、セルビア人難民が大量にやってきた。
みんな着の身着のまま、命からがら逃げてきて、家族が途中で殺された人、行方不明になっている人も沢山いた。本当にボロボロの状態で、可哀そうで仕方なかった」(友人談)


誰も幸せにならない戦争。
意味がわからないです。わかりたくないです。

ケーブルカーと絶景!

とある天気のいい日に、ずっと気になっていたケーブルカーに乗ってみました!!

ピカピカの建物でチケットを買います。外国人は確か10ユーロ。
凄く混むので朝早くいくのがいいよ!

わー――近代的!

乗ったぜ!!

ヒョオオオオオオ絶景!!!

ええええ絶景

やばい絶景

ここで降りる!

降りた!!

1984年サラエボオリンピック当時のゴンドラが展示されてた。かわいい。

山の上は展望公園になってて、そのままハイキングコースに続いています。

↑これは新しい看板だけど、山の中にはオリンピック当時の設備が(ほぼ放置されて廃墟状態)あちこちに残ってる。

空気がきれいで本当に気持ちよかった。また今年もサラエボ行くので、絶対ここに上るぞ!!


たまたま遭遇したコンサート。凄くよかった!

…というわけで、かなりランダムですがサラエボレポートでした。
みんなもぜひ行ってほしい!!いってみて!!


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